国史跡
文久元年(1861)年に建造されました。
この年の3月には、宿場の大半及び前身の本陣も火災で焼失しましたが、
11月の皇女和宮降嫁の宿泊地とされていた和田宿では、幕府の拝借金を得て、宿場の復興が行われました。その中心として再建されたのが、現在の建物です。
本陣建物は大名などの宿泊にあてられる「座敷棟」と、所有者が生活する「居室棟」に分かれており、この建物は「居室棟」にあたります。

昭和61年より5年の歳月をかけて、往時の姿に復元されました。

明治維新の後は、本陣としての機能を終え、役場・農協の事務所として昭和59年(1984)まで使用されていました。

旧和田村役場庁舎の移転にともない解体される運命にあったのですが、重要な遺構としての価値が認められ、解体修理が行われることになりました。これだけの規模の本陣が残っている宿場は、中山道の中でも数少なく、貴重な遺産です。


左は、本陣「居室棟」の便所と風呂です。これらは、本陣の住人が使っていたものです。
便所は、ただ四角に穴のあいた板の間に、「きんかくし」の厚い板があり、1.5Mほどの床下に、桶が埋め込んであるだけです。
風呂は、堅く突いた土間の端に1人がやっと入れるくらいの小さな桶があります。

かつての人々の質素な生活がよくわかります。

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