
遠い昔から、和田村には人々が住みつき、
さまざまな生活文化を現在の私たちに伝え残してくれました。
一万五千年から二万年も前に、
日本でも有数の質のよい黒耀石が大量に産出した和田峠や男女倉(おめぐら)へは、
東北地方・関東地方・中部地方・北陸地方・近畿地方からたくさんの人々が、
生活に欠かすことのできない黒耀石を求めて訪れました。その原石を加工して石器を作り、
それぞれの国に持ち帰って使っていました。人々が行き来したこの道は、「黒耀石の道」ともいえまます。
男女倉遺跡からは数万点に及ぶ黒耀石器が発掘されています。
奈良・平安時代には、仮宿から野々入をへて風越峠(かざこしとうげ)へ向かう「国府への道」も
大切な文化遺産です。
鎌倉・室町時代には、「諏訪大社信仰の道」として和田峠に通じる現街道が、にぎわいをみせていました。
江戸時代に入ると、「中山道」の宿場町として整備され、国盗り合戦もなく平和な時代を迎えたため、
今、私たちが文化財と呼んでいる貴重なものが数多く残されています。
この様に太古から時代が変わっても、人々が途切れることなく往来した「歴史の道」は、
今でも、長野県を横断する主要道路として歴史を刻んでいます。

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