信州立岩 和紙の里

三百年の歴史 手漉き立岩和紙

昔ながらの伝統と手法をそのままに、現在までも連綿と受け継がれる立岩和紙。三百年来の伝統は信州の山間地で培われてきた手すき和紙に、ふくよかにして強靭、繊細にして頑固なまでの暖かさを与えた。
ここ和紙の里では、依田川の清流と高冷地特産の楮を使い、釜ゆでから乾燥までの一連の作業工程を手作業で行っています。紙すき職人の妙技と真髄を今に伝えます。

     立岩和紙継承者 佐藤洋一 

「手漉き」と言われるが、紙漉きは全身を使っての作業。
微妙な加減でできあがりが変わってくる。

−−紙は鹿の糞から発想されたと言われているんだよ−−
紙漉き師の佐藤洋一さん曰く
「鹿は寒い冬を越すためにたくさんの木の葉や皮を食べ大量の糞をする。
春になって糞が崩れたら、白い繊維だけが残っていた」。
造紙の技術は中国で生まれ、朝鮮半島を経て
日本に伝わったと言われている。

清少納言は『枕草子』の中で「うれしきもの」として、よい紙を手に入れることをあげている。 いい紙が手に入ると、いい歌を作ろうと古人は思ったようだ。今でも美しい紙を前にすると、美しい文字を、美しい言葉を書きたくなるもの。
「立岩和紙」の起源はさだかではないが、江戸時代、農家の冬場の副業として、少なくとも三百年くらい前には行われていたという。当時、紙漉きはかなり実入りがよかったようで、農繁期にも紙を漉く人が出てきて農作業にも影響してきたため、「十月より、春作前のうちのみ」(1789年)、「紙漉きは二月晦日限り」(江戸時代中期)など、漉く期間を定める紙漉き業者の申し合わせや村定めも出されている。
昭和52年に一度途絶えたが、59年「信州和紙の里」が建設され、伝統の技法を継承するとともに、新しい和紙製品にも挑戦している。
■楮(こうぞ)/立岩和紙の原料である「楮」は、クワ科で寒さに強く長門の気候に適している。和紙の原料には、ほかに「雁皮(がんぴ)」「三椏(みつまた)」などがあるが、これらは暖かい地方の植物で、雁皮紙は繊細で華奢で光沢があり、中でも透けるように薄い「薄様(うすよう)」は、紫式部や清少納言など平安時代の女性に好まれた。三椏紙は雁皮に近く、現在は紙幣の原料にも使われている。女性的な雁皮・三椏に対して、楮紙は繊維が太く強靭で男性的。障子紙や奉書紙などに主に用いられる。
■あく抜きと漂白/皮にした楮から和紙ができるまでの工程は約一週間。楮の皮を煮て、あく抜きをして、紙の種類によっては漂白し、臼でつぶして繊維を短くした後、ほぐした繊維にトロロアオイと水を加えて撹拌する。そして紙を漉き、漉いた紙を乾燥する。
■色とりどりに染められた和紙/もともとは障子紙が主であった立岩和紙だが、最近では建築用の壁紙(もみ和紙)など、紙の種類や用途の幅も広がっている。
■「紙布」と和紙製品/紙布(しふ)は和紙を撚(よ)って作った糸と、綿や麻、絹糸とで織り、軽くて肌ざわりがよく夏の暑さをしのぐのに適している。下級武士が殿様に呼ばれたが裃を買うお金がなくて、困った末に考え出したといわれる。全国から集めた様々な和紙製品もあわせて販売。和紙の世界をお楽しみ下さい。


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